アメリカはもうすぐサンクスギビングですね。
そしてその後はクリスマス。
このふたつの祝日はアメリカでは家族単位で集まるのが大前提。
日本でお盆やお正月に帰省する感覚に似ています。
また、職場などのオフィシャルなクリスマスパーティーは夫婦で招待されるケースが多いですよね。
なので、この季節、アメリカ人と離婚したかたは、在米年数が長ければ長いほど最初の年は寂しいかも。
それとは逆に、去年まで義理家族の家に嫌々行って、美味しくないパサパサターキーを食べ、まったく興味のないフットボールの画面を見ながら帰る日を指折り数えていたあなた。
おめでとうございます!!!(祝)
新しい自由を思いっきり満喫してください!
さて、この記事は、サンクスギビングやクリスマスに限らず、そして離婚経験関係なく、寂しい思いをしている方を応援したくて書いています。
かくいうわたしも、寂しいことってやっぱりあったんですよ。
そこで、今日は、わたしが離婚後寂しいと感じていたときのことを思い出して、通り抜けた今だからわかるけど当時はさっぱり見えていなかったことをおはなしします。
ちょっと寂しいひとも、寂しくて死んでしまいそう!なんて重症なひとも、参考になると思いますので読んでみてくださいね。
[toc]
寒すぎるスタジアム
わたしの娘は、高校のマーチングバンドでフルートを吹いていました。
アリゾナ州の高校では、そしてたぶんアメリカ全土で、フットボールのシーズンには毎週金曜日の夜に試合があります。
そしてマーチングバンドは、試合の間中応援のために演奏します。
試合前に国歌を演奏したり、ハーフタイムでエンターテインメント的なショーをしたり。
フットボールの試合とマーチングバンドの演奏はセットなんです。
わたしは毎週金曜日、フットボールを応援する娘の応援に試合場所に出かけていました。
離婚後、娘は平日は父親宅、決まった週末と夏休み、冬休みはわたしの家で過ごしていたのですが、わたしは娘の晴れ姿を見るチャンスがあればどんなものでも絶対に逃したくなかったのです。
それに、彼女の高校のマーチングバンドは人数が多く、音が良く出て聴きごたえがあったので、わたしは彼女のバンドの演奏を見に行くのが好きでした。
ところで、一般的なアメリカ人にとってフットボールは国民的スポーツなので、もしも家族の誰かがフットボールの選手だったりすると、試合は毎回ファミリーイベントです。
親兄弟が応援に行くのは当たり前。
おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこ、そしてときにはお隣りさんまで総出でスタジアム席を陣取っていることは珍しくありません。
その傾向は田舎にいけばいくほど高くなるかんじです。
娘がアリゾナで通っていた高校は小さな街にあったので、ホームゲームのスタジアムはそんな一族総出のグループがたくさんいました。
わたしは、スタジアムでまわりをにぎやかな家族グループに囲まれて、ひとりぽつんと座り、ひしひしと寂しく感じたものです。
その高校は標高の高いところにあり、ほかのアリゾナの都市より10~20度気温が低いのですが、日が落ちると急激に冷え込み、風がふくと、それはそれは冷たく感じましたね。
もう、ひゅーーーーーーーーーーーっと、からっぽのからだの中を木枯らしが駆け抜けていくかんじ。
あぁ、寂しかったなぁ。
寂しいときに寒いって、ほんとにダブルパンチですよ。
相乗効果ありすぎです。
おひとりさまはわたしだけ?
わたしは大勢のなかでひとりでいる自分を寂しく感じていたのですが、そこにひとりで来ていたのはわたしだけではなかったんです。
息子さんが試合に出ているお父さんとか、今改めて考えてみたら、おひとりさまはわたしのほかにもいたんですよね。
彼らは寂しそうだったか?
まったく寂しそうではありませんでしたね。
きっと寂しいかどうかなんて、考えてすらいなかったでしょう。
彼らは、ときに大興奮しながら息子のプレーを真剣に見守っていました。
一方わたしは、娘がフルートを吹くのを見て、あとは試合を見ていました。
そして、同時に、一族総出で来ているグループを見て、彼らにはこんなに大勢家族がいるけど、わたしの家族はアメリカでは娘しかいないことを思い出し、ひとり寂しくなっていたのです。
まわりの景色を変えて考えてみる
と、こんなかんじで、わたしは一族グループとおひとりさまの自分をくらべて寂しくなっていたわけですが、もし、まわりがおひとりさまばかりだったらどうだったんでしょう?
わたしは寂しかったと思いますか?
う~ん、たぶん寂しくなかったかも。
というか、寂しいとかそういうことを考えなかったと思います。
では、スタジアムには他にひとがいなくて、わたしだけが試合を見てるとしたら?
やはりこの場合も、わたしは別に寂しくなかったでしょうね。
このように、「わたしがひとりで試合を見ている」という事実を変えずに、まわりの条件を変えてみると、わたしが寂しいか寂しくないかが変わるんです。
なので、スタジアムのわたしは、「ひとりで試合を見る」のが寂しいのではなくて、「一族グループに囲まれて、ひとりで試合を見る」のが寂しかったということですね。
スルーできなかったワケ
ということは、スタジアムで一族グループが目に入らなかったら、たぶんわたしは寂しくなかったんだと思います。
一族グループは自然と目に入ってくるけど、スルーしちゃえばよかったのですね。
もちろん、目に入っても自分と比べなければよかったのは言うまでもありません。
では、なぜスルーできなかったのでしょう?
以前コラム 想像力は使いよう で、ひとは欲しい情報だけを拾う生き物だというおはなしをしています。
…
毎日想像することで、そうなるにはどうすればいいか自然と考え、行動するようになるからです。
それに、ひとは欲しい情報だけを拾う生き物なので、こんなふうに幸せになりたいというイメージを持てれば、そうなるために役に立つ情報に出会ったときにピンとくるものなのです。
どうやら上の引用部分の「幸せになりたいというイメージ」というのが「寂しくなりたいというイメージ」に置き換わっちゃったみたいなんです。
わたしは、心の表側では自分のことを娘しか家族がいなくてかわいそうなんてちっとも思っていなかったんですけど、どうやら潜在的には大いにそう思っていたのだと思います。
そして、そこには今考えてみると、母との会話が絡んでいる気がしています。
当時、母と電話で話すたびに、彼女がわたしと娘のことを母子家庭になってしまったかわいそうな親子という見方をしているので、いやほんとにかわいそうでもなんでもないし、大丈夫と毎回説明していました。(実際本当に普通に大丈夫でした。)
そのときはわかった、安心したわ、で会話が終わるのですが、別の日に電話で話すと、なぜかまたかわいそうな母子家庭イメージに逆戻りしているので、もう一度いちから説明。
こういうことを繰り返していました。
たぶんその過程で、母の持つかわいそうな母子家庭というイメージが、知らないうちに私の心の中に落ちてしまったのかなぁと思います。
だから、わたしの脳はこう捉えたのでしょう。
「ほう、これがご主人さま(わたしのこと^^)がなりたいイメージか。
ふーん、娘ひとりしか家族がいないかわいそうな女性ねぇ。
いつも考えてるからよっぽどなりたいんだね。なんとかかなえてあげたいな…。
お、あそこに使えそうな一族グループがいるぞ!
彼らを使って、ご主人さまに寂しい気分に浸ってもらおう。」
こんなかんじで、脳が気をきかせて働いた結果、わたしは一族グループを見て寂しくなっていたわけですね。
では、ひとりで来ていたフットボールダッドはどうでしょう。
彼らの頭の中には(たぶん)おひとりさまのかわいそうな自分なんてイメージはナシ。
だから、彼らの脳は一族グループを見ても、使える情報ではないので完全スルーです。
それよりスター選手の息子のプレーに全集中。
だってフットボールダッドの望みは、息子が試合で活躍することですからね。
寂しいイメージを持たない
なので、寂しくなりたくなかったら、寂しいイメージを心に持たないようにして、脳があなたを寂しくしようとさせないことです。
それに、離婚してかわいそうに、寂しいでしょう、なんてことばかりやたらと言ってくるひとともあまり会話しないほうがいいかもしれませんね。
なぜかというと、自分はそう思っていないことでも、繰り返し耳から入ってくることでその考えが潜在意識に定着してしまうかもしれませんから。
結局行きつくところは、日頃どんなイメージを持って生きているかというところなんですね。
タイムマシンがあったら、あのひゅるるる~と吹きすさぶ風の中で、あ~ん寂しすぎるう!と寒がっていた自分に教えてあげたいです。
それ、その寂しい自分を作ってるのは自分だよって。
ところで、もうすぐ来るサンクスギビングをひとりで過ごすのが寂しいあなた。
あなたが日本にいたころ、サンクスギビングが何をする日かご存知でしたか?
そもそもサンクスギビングが何曜日かも知らなかったのでは?(←それはわたし^^)
サンクスギビングを知らなかったころ、サンクスギビングの日、寂しかったですか?
全然、ですよね?
サンクスギビングを知る前も知った後も、あなたはあなたですよね?
なら、もともと寂しくなかったんだから、その日は寂しくないってことにするのもひとつの方法ですよ^^
寂しいときに心をニュートラルにする方法
あなたに質問です。
あなたが生まれたとき、ひとりで寂しかったですか?
そんなの覚えてませんよね?
わたしも覚えてません^^
でも、考えてみてください。
生まれたばかりのあなたの心は、まっさらでニュートラルだったのではないですか?
無色透明で澄み切ってクリアだったのでは?
ですから、寂しくなったら、心をニュートラルな状態に戻してあげればいいですよ。
ではでは、その方法です。
また想像力を使って解決していきます。
読みながら一緒にやってみてください。
あなたは天空に住む天使で(ちょっと!今噴き出したかた!まじめにやってください笑)(ほかにも神様とか巨人とか…天空にいそうなお好きなキャラで^^)、湖のある美しい森を見下ろしています。
森の空気は澄みきって、風はなく、湖はおだやか。しーんとしています。
このクリアの空気があなたの心です。
無色透明で、匂いもない。
どうですか?
綺麗な森の空気のあなたの心、すっきりして気持ちよくないですか?
そこにあなたが寂しくなったら、霧が立ち込めてきます。
ゆっくりうっすら霧が広がってくるときもあれば、すっぽり濃い霧に覆われ何も見えなくなることも。
あなたは上空から森を見守っているので、すぐに霧に気づきます。
気づいたらすぐに、ふぅ~っと霧をやさしく吹き払ってあげてください。
そして、森をクリアな景色に戻してあげるのです。
霧がなくなって澄んだ空気が戻ってきたら、はい、完了です。
またまた簡単でしたね!
このテクは考えすぎるのをやめるコツでおはなしした、ムダな考えの水晶が生えてきたら金槌ですぐにカーン!と打ち砕いて脳をまっさらにするやり方と似ていますね。
寂しいときの対処法とムダなことを考えすぎるときの対処法って、結局は自分の脳を、心を見守って、何か異常が起きたらすぐ対処してあげればいいだけなのですね。
おわりに
今日はちょっと長かったですね。
おつかれさまでした^^
最後にポイントをまとめてみます。
- 寂しいイメージを心に持たないようにして、脳があなたを寂しくしようとさせない
- それでも寂しくなったら、寂しい心をニュートラルな状態に戻してあげる
- 上空から自分の心の世界をいつも見守って、寂しさの霧が出てきたら、ふぅ~っと吹き払ってあげる
寂しいあなたは、あなたの心が作り出しているのです。
なら、作り出すのをやめちゃえばいいのですよ。
それでも寂しくなったら、この記事でおはなしした方法で、寂しい心をニュートラルな状態に戻してあげてくださいね。
いつもあなたの心を見守って、なにかあったらすぐ対処してあげれば大丈夫ですよ^^
あわせて読んでみませんか?⇒ つらいことを乗り越えようとしているひと、少しラクに生きたいひとへのコラム