猫と女性
Credit: Yuki Kai

今朝久しぶりに愛猫の夢を見たので、今日は猫のおはなしです。

わたしは数年前までチェスターという白黒の猫と一緒に暮らしていました。

フロリダのセントピーターズバーグで、お屋敷のような家の庭で生まれたチェスターをもらいに行った日のことは今でも覚えています。

当時私は猫のことはよく知らず、どちらかといえば犬派でした。

それなのに、赤ちゃんのチェスターは猫好きの家族ではなくなぜか私にだけ懐いてきて、私はすぐにメロメロになりました。

その日から私はチェスターのママになり、後にアリゾナへも車で一緒に引っ越しました。

大学の宿題をしているといつも膝にのってくるし、あれ、いないな?と思ったら私のバッグの中で寝ていたりと、可愛い様子にそれは和んだものです。

実は少しお喋りもでき、ごはんのときにママって言ってごらんとトレーニングしたらママと言えるようになったし、よその猫が家のテラスに来た時には本気でノー!と言っていました。

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離婚してアパートにひとりで暮らし始めたとき、チェスターはわたしと一緒に暮らすことになったのですが、彼にはどれだけ癒されたかわかりません。

夜私がベッドに入るとすぐに、結構高さのあるベッドに軽々と飛び乗ってきます。

そしてフカフカの羽毛布団にパサッと衣擦れの音をたてて着地し、羽毛布団の厚みにゆっくり沈むかんじで一旦落ち着いてから、一歩、また一歩とふんわり厚みのある布団の上を踏みしめるように歩いてきて、その間中私の目をじーっと見つめているのです。

そして私の胸の上でゴロゴロいいはじめます。

夜中にはどこかに行ってしまうこともありましたが、朝また戻ってきます。

でもミャーとうるさく鳴いてごはんを催促したことは一度もなく、黙ってわたしの顔を見つめてわたしが目を覚ますのをじっと待っているのです。

この記事の写真は、ある週末の朝に「ママごはんまだ~?」とやってきたけど、私の腕の中でもう一度寝てしまったときに撮ったものです。

普段は抱っこが嫌いなコだったので、奇跡の1枚的な貴重な写真です。

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そんな自分の子どものようなチェスターでしたが、わたしが離婚して一人暮らしを始めた数年後に呼吸困難になって急激に痩せてしまい、慌てて病院に連れていきました。

そこでは肺に水が溜まっているということで、対応できる大きな病院を紹介されました。

次の病院では、まず肺に溜まった水を抜き、数時間ごとに酸素吸入が必要ということでその夜は一晩入院して色々な検査もしてもらうことになりました。

次の日迎えに行くと、肺の水を抜いても数時間後にはまた溜まってきたので最初の治療の後もう一度水を抜いたことと、複数個所に腫瘍があるということで、余命を知らされました。

飼い主の私にはふたつオプションがあり、ひとつは数日ごとに肺の水を抜きながら薬を与え余命をできるだけ長くする、もうひとつは安楽死。

すでに検査と治療で4000ドル近く使っていたわたしは残念ながら経済的に続かないのは目に見えていました。

ですので、チェスターとお別れする悲しい選択をしました。

少しでも長く一緒にいたいけれど、できるだけ早く苦しみから解放してあげないとかわいそうなので、翌日に安楽死の予約を入れ、その日はチェスターと一緒に家に帰りました。

肺の水を抜いて酸素吸入をしたので少し元気になったチェスターは、その夜は久しぶりにごはんをパクパク食べる姿を見せてくれました。

そして、いつものベッドで一緒に眠りました。

次の日の夕方、チェスターはいつもふみふみしてお気に入りだったわたしのバスローブにくるまれて、わたしの腕の中で息を引き取りました。

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その翌朝のことです。

午前中に人と会う約束があったので出かける準備をしようとすると、なんだか身体が重いのです。

具合が悪いというわけではないけれど、とにかくどんどん重くなっていくかんじで、ベッドに横になると、まるで身体が鉛になったかのように動けなくなりました。

これでは外出はムリだと思い、約束していた人にお断りの連絡を入れた後、猛烈な睡魔が襲ってきてそのまま眠ってしまったようです。

パサッという音がして、チェスターがベッドに飛び乗ってきました。

着地して落ち着くまで数秒の間が開いて、一歩、また一歩と羽毛布団を踏みしめる衣擦れの音がします。

そしてわたしの胸の上にのってゴロゴロいい始めました。

ああ、チェスター、おはよう。

おなかすいた?

目を開けると、チェスターはいませんでした。

その瞬間、わたしはチェスターが無事にこの世を去ったのを知りました。

窓からは優しい光が差し込み、部屋は平和で清らかな空気に満ちていました。

さっきまであんなに重く感じた身体もすっかり元に戻っています。

携帯を見ると、10時過ぎ。

そういえば、火葬の時間は10時と聞いていました。

これがチェスターとわたしの最後のお別れでした。

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