Fritz Mitteでドイツのソウルフード、カリーヴルストを食べた後、イエナが工業都市として発展する基盤を作った御三家、カール・ツァイス、エルンスト・アッベ 、そしてオットー・ショットの足跡をたどりに光学博物館とショットグラス博物館へ向かいます。
まずは光学博物館から。
フリードリヒ・シラー大学の前を歩いていきます。
光学博物館の手前にエルンスト・アッベ博士の記念廟 Ernst – Abbe – Denkmal があったのでちょっと寄り道してみます。
一見ここにアッベ博士が眠っているのかと思わせる建物ですが、お墓ではありません。
女神様(?)に称えられるアッベ博士の頭像。
写真に写り込んだ背景の建物は光学博物館です。
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アッベ博士って誰?
さて、エルンスト・アッベ博士はアッベの原理とアッベ数で有名な科学者です。
アッベの原理とは測定精度に関する原理です(軽く流します)。
そしてアッベ数は色分散の度合いを示す数値です。
アッベ数が大きいほど色分散・色収差による色のにじみが少なくなるので、レンズ意識の高いメガネ屋さんは、屈折率、カーブ設計、コーティングのレンズ3要素以外にアッベ数も考慮するよう勧めるようです。
ちなみにわたしがメガネを買うときは、ひたすらフレームのデザインしか追及していませんでしたね……レンズって薄いのに奥が深いんですね。
与えられ、そして与える
ここまではアッベ博士に関するイントロで、ここからが今日のお題です。
アッベ博士の注目ポイントは、彼の生き方が Given 1 – Given 2 – Giveであるということです。
そして、最後の Give のスケールはドイツの国土より大きいです。
Given1-父親の雇用主からの金銭援助
最初の Given は、アッベ博士がジムナシウム(中等・高等学校)に入学するときに起こります。
アッベ博士は、1840年、紡績工場で働く父親のもとドイツ・アイゼナッハで生まれました。
父親は1日に長時間 (14時間とも16時間ともいわれています)働いていましたが、それでも家計は厳しく、息子のアッベをジムナシウムに入れる余裕はありませんでした。
しかし父親の雇用主から金銭援助の申し出があったおかげで、アッベ少年はアイゼナッハ・ジムナシウムを卒業し、良い成績で大学入学資格を得ることができたのです。
ジムナシウム卒業までにはアッベ少年の科学的才能と進学の強い意志は顕著になっており、家計は厳しいままでしたが、父親は彼の進学を認めます。
引き続き父親の雇用主からの金銭援助を受けながら、アッベ少年はイエナ大学に入学し、1861年21歳のときにゲッティンゲン大学で博士号を取得しました。
Given 2 ーカール・ツァイス氏からの経済支援
アッベ博士は26歳のときに50歳のカール・ツァイス 氏に協力し、高品質の顕微鏡の開発に尽力します。
6年にわたる精密作業の末、1872年、ツァイス氏は競合製品の品質を完全に打ち負かす顕微鏡を発表し、国際的にも認められ、科学および医学界に称賛を浴びます。
ツァイス氏はアッベ博士の数学理論が応用された顕微鏡の成功を機に、アッベ博士に対して惜しみない経済支援を申し出て、1875年には彼をツァイス社の共同経営者にします。
Give ー財団設立とアッベ定款
ツァイス氏の没後、アッベ博士は私有財産を共有化し、カール・ツァイス財団を設立します。
財団を通したアッベ博士の功績はおもに下記の3つです。
- 特許権をすべて開放し、学術研究のためのすべての発明をパブリック・ドメインにしました。
- 当時、一般的な労働時間が14時間に及ぶことが普通であった時代に、9時間労働を規定。その後、1900年には8時間労働制を実施しました。
- 有給休暇、利益配分、年金の支払いを受ける権利、病気時の賃金の支払いなどの社会保障制度を実施しました。
功績1に思うことは、アッベ博士は自分のお金に本当に執着しないひとだったんだなぁということです。
だって、もしわたしだったら、特許を自分の名前でとってしまえば、上手くいけば不労収入になるのだから、自分のものにしておきたいと思うでしょうから。
お金に苦労して育つとお金に必要以上に執着して生きていくようになってしまうことが多いのでは、と常日頃感じていたので、そうではないアッベ博士が少々意外でした。
もしかしたら、アッベ博士が少年時代に貧しい家庭に育ちながらも、父親の雇用主の援助によって博士号まで取得できたという与えられた体験から、与える素晴らしさもわかっていらっしゃったのかもしれないですね。
功績2と3は、時代を先駆け今日の労働法や社会保障の基礎となっている点が素晴らしいですよね。
アッベ博士のお墓
天文学者、数学者、および物理学者であっただけでなく、実業家でもあったアッベ博士。
イエナを訪れた際にアッベ博士のお墓参りをするというファンが多いのもうなずけます。
わたしは、旅行した時点ではアッベ博士のことを、あーあの顕微鏡系の数式のあの人ねー、くらいにしか認識していなかったので、そんな自分が惜しすぎます…。
お墓参りをして少しでもアッベ博士の Give の精神に触れてくればよかったなぁ、と彼の功績を知った今思うのでした。
By Daniel Mietchen – Own work, CC0 |
アッベ博士のお墓は、オットー・ショット氏が葬られている墓地と同じ北墓地 Nordfriedhof (Hufelandweg 4, 07743 Jena) にあります。
なお、カール・ツァイス氏のお墓は、 別の墓地 Alter Johannisfriedhof (Jenaer Stadtkreis, 07743 Jena) になります。